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ディレクター広本の『アートをマーケットから読み解く』
青森?泡盛?アーモリー/アメリカのアートフェア事始め  (2003.12.08)
「パーク・アヴェニュー アーモリー、 シクスティーセヴンス アンド パーク、プリーズ」
大抵のタクシーの運転手は最初の3語だけで、特にあおもりとあわもりの間の発音をすれば、間違わずに目的地「ニューヨーク・プリント・フェア」の会場に送り届けてくれる。毎週見本市など何らかの催しが開かれていて客の乗り降りが多いからだろう。

「階段を下りる裸体ナンバー2」
マルセル・デュシャン
Armory(兵器庫)であった建物が一躍アメリカ美術の世界で有名になったのは、今から90年前、1913年2月17日から1ヶ月開催された国際現代美術展「アーモリー・ショー」のためである。
現代美術展といっても現代だけではなく、アングル、ドラクロアのドローイングから始まる総数1600点以上、三分の二はアメリカ人作家の作品だがヨーロッパの最先端の美術が初めて紹介された美術史上非常に重要な展覧会であった。ピカソやブラックのキュビスム、マティスのフォーヴィスム、中でも最も話題となり論争をも呼んだのはマルセル・デュシャンの「階段を下りる裸体ナンバー2」であった。この展覧会がシカゴに巡回した際、アート・インスティテュートの学生たちがマティスとブランクーシの人形を作って縛り首にし、マティスの複製画を焼き払ったという。当時のアメリカの画家たちにとってヨーロッパの同時代の美術はモダン過ぎ、ギャップの大きさを意識させられたのである。
 美術史の書物では余り触れられていないが、出品作品のほとんどが売り物であった。そして200点以上の作品が売れた、つまり多くのコレクターを生むことになった。
バーンズ・コレクションとして知られるアルバート・バーンズは162ドルのヴラマンクを購入し、ニューヨーク近代美術館のコレクションの中心作品群を寄贈することになるリリー・ブリスは、ルドンの油彩とパステル1点ずつを含め版画など18点を購入した。セザンヌの「丘の上の救貧院」(1895年頃)を6700ドルでメトロポリタン美術館が、カンディンスキーの「即興ナンバー27」(1912年)を500ドルでアルフレッド・スティーグリッツが購入している。このとき6500ドルだったセザンヌの「自画像」(1892年)が現在ブリヂストン美術館、「セザンヌ夫人」が横浜美術館の所蔵だが、これらの絵画が将来日本の所蔵となるなど当時のアメリカ人は想像だにしなかっただろう。