トップページ > アートな生活 > アートをマーケットから読み解く アートディレクター広本伸幸

ディレクター広本の『アートをマーケットから読み解く』
アメリカ初代大統領ワシントンの肖像画を描いたのはレンブラントの父親だった?
−アメリカ美術史のはじまり− (2004.01.15)
2003年9月クリーブランド現代美術館からスタートした「奈良美智」展“NOTHING EVER HAPPENS”が2004年1月24日より、ペンシルヴァニア大学の現代美術館であるインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アートに巡回開催。奈良さんの作品がこのフィラデルフィアでも再び大人気となることは間違いない。


チャールズ・ウイルソン・ピール(1741〜1827)
「自画像」1822年
フィラデルフィアは独立宣言のなされた都市であり、最初の首都であった。そしてアメリカに初めて美術学校ができたのもこの地である。1805年にそのペンシルヴァニア美術学校を創立(東京藝術大学は1887年創立)したのは、画家チャールズ・ウイルソン・ピール(1741−1827)であった。画家以外に馬具屋、看板描き、博物学者、発明家と様々な肩書きを持つピールの博物学者としての功績は、1786年フィラデルフィアに博物館を設立、1801年に古代象のマストドンを発掘したことがあげられる。画家としては初代大統領ジョージ・ワシントンの肖像画が有名だが、アメリカにおける静物画の創始者としても知られている。 しかし、ピールの最も大きな功績は後を継いで画家になった息子たちを育てたことだろう。
冗談と思われるかもしれないが、息子たちの名前は、ラファエル、レンブラント、ルーベンス、ティティアン、特に優秀だったレンブラント・ピールは第三代大統領で独立宣言の起案者トマス・ジェファーソンの肖像画を1805年に制作、1825年にはアメリカ美術アカデミー会長に選任されアメリカの美術界で重要な役割を果たした。ピールの息子たちの名前から、いかに18世紀末のアメリカがヨーロッパの美術に憧れ、大きな影響を受けていたかは明らかだろう。
コロンブスのアメリカ大陸発見以来、ヨーロッパから大勢の移民が大西洋を渡って来た、その中には画家たちも混じっていた。しかし彼らに仕事はなく、開拓民たちの後を追って裕福そうな町の床屋に人を集め、似顔絵に毛の生えたような肖像画を、その場で描き上げては日銭を稼いでいた。まだヨーロッパの貴族のように、絵を注文する習慣がアメリカにはなかったのである。 アメリカ独立の中心人物たちの肖像画からアメリカ美術の歴史がはじまり、美術市場の形成が始まったといえる。即ち地位ある人々が肖像画を注文し、家に風景画や静物画を飾るようになったからだ。画家が職業として定着し、高収入を得るようになったため、ピールは息子たちを皆画家にしたのである。