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ディレクター広本の『アートをマーケットから読み解く』
ニューヨーク、グッゲンハイム美術館 〜今度は二人の女性が張り合った結果、素晴らしいコレクションが誕生〜 (2004.07.12)
グッゲンハイム美術館の前身である非対象絵画美術館が開館したのは、1939年。初代館長ヒラ・リベイはストラスブール(当時ドイツ領)の貴族出身の若き女流画家であった。10代の頃ルドルフ・シュタイナーに教わり神智主義の薫陶を受けた彼女は1927年、美術館創立者ソロモン・R・グッゲンハイムの肖像画制作を依頼され、制作の間に近代絵画特に抽象絵画の魅力を説き、いつの間にか大コレクターへと彼を育て上げることになる。二人してカンディンスキーを訪問し、直接作品を購入したり、シャガールの初期作品やレジェ、ドローネーなどの傑作を次々と買い足して10年、コレクションは増大し「芸術と芸術教育の振興と奨励及び大衆の啓蒙」のために美術館設立の構想が持ち上がるまでになった。

ソロモンの弟ベンジャミン・グッゲンハイムは1912年沈没したタイタニック号に乗り合わせ命を落した。その娘ペギーは遺産をもとに20代前半パリに遊学、時代の最先端のアートであるシュルレアリスムの作家たちとの交友がはじまる。マルセル・デュシャンに薦められてアルプの彫刻を買ったのがきっかけとなり、当時の現代美術作品を集め始めるが、趣味が高じて1938年ロンドンに画廊グッゲンハイム・ジュンヌを開く。翌39年カンディンスキーの展覧会をイギリスで初めて開催、しかし同じくカンディンスキーの作品を愛する前記ヒラからいちゃもんがつけられた。「グッゲンハイムの名が芸術における理想として聳え立つこのときに、それが商売に使われるのを見るのは極めて不愉快です」。

ペギーは戦火を逃れて1941年ニューヨークに戻り、翌1942年に「アート・オブ・ディス・センチュリー(今世紀の美術)」と名づけた画廊をオープン。ヨーロッパの作家のほかジャクソン・ポロック、マーク・ロスコといったアメリカ抽象表現主義の新進作家たちを世に出す重要な役目を果たすことになる。オープニング・パーティーの席上、ペギーは「シュルレアリスムと抽象美術のいずれにも偏らないことを示すために、片方の耳にイヴ・タンギーのイヤリング、そしてもう片方にはアレクサンダー・カルダーのイヤリングを着けた」。

ギャラリーのインテリアそのものが全くのシュルレアリスム作品、かつてヒラがグッゲンハイム美術館の設計を依頼しようとした建築家フレデリック・キースラーの設計だった。ヒラにとってはそのことも面白くなかったし、「アート・オブ・ディス・センチュリー」という画廊の名前自体、39年に非対象絵画美術館で開催した企画展の「アート・オブ・トゥモロー」をぱくっているとしか思えなかったのだ。

アメリカナイズされたドイツ人ヒラとヨーロッパかぶれのアメリカ人ペギー、この二人は挫折した元画家と作品制作とは無縁のコレクター、教師然とした人間と恋愛三昧に耽る人間、けちけちしながら自腹で買い集める者と人のお財布でコレクションをする者、これだけの違いがあった。当然ながらコレクションにもその違いは現れている。この作品がどちらの目によって選ばれたものか、推測しながら見ていくのも面白いし、また知らないうちに、いつしかコレクター気分になってしまうかもしれない。あなたのコレクション第一号はどんな作品だろう。

ところでグッゲンハイム・コレクションには、ペギーやヒラが価値を認なかったリキテンスタイン、ウォーホル、ジム・ダイン、ウエッセルマンといったポップ・アートの作品も後に加えられて現在に至っている。彼らポップ・アーティストたちは、抽象表現主義に反発しシュルレアリスムに親近感を持っていた、リキテンスタインの作品も完全にシュルレアリスム作品といえるものだ。1959年にオープンしたフランク・ロイド・ライト遺作となった有名な建物もシュールな建築と言えるかもしれない。