「変成態-リアルな現代の物質性」展 vol.3 泉孝昭×上村卓大 「のようなもの」の生成
7/25(土)~9/5(土)日月祝休
11:00~19:00
Formation of "something like" Takaaki Izumi,Takahiro Murakami
1-2-11-B1F,Higashi-kanda,Chiyoda-ku,Tokyo
7/25(Sat)-9/5(Sat) closed on Suncay,Monday and national holiday
11:00-19:00
gallery αMでの通年企画、「変成態-リアルな現代の物質性」展の第3弾。泉孝昭さんと上村卓大さんという、これまた絶妙なパッケージ。お互いのスタンスがユニークな解釈のい響きをもたらしています。「のようなもの」、というタイトル、絶妙です。
まず、六本木時代のTARO NASUでの個展や、名古屋でのグループ展、さらに昨年のECHOへの参加も印象に残っている泉孝昭さんの作品。
唐突に置かれるパレット。生木のナチュラルな色と、さまざまな色に塗り分けられ、無造作に置かれる天板が、「もの」の質感とは裏腹な軽やかな雰囲気を滲ませています。
パレットというと、倉庫などでフォークリフトが持ち上げている様子などを思い浮かべるのですが・・・
なんとなく眺めていると...
あれ?(・。・)
これ、なんかおかしくない?(・。・)
で、さらにしげしげと眺めて...
釘打ってねぇ!Σ( ̄口 ̄;)
結局のところ、これはパレットではなくて、一部塗装がされている木材がただ積まれているだけという。
なんだかやられた感じ、それに気付いて妙に痛快な気分が湧いてきた次第。
見た目から受ける勝手な解釈で、想像の中でそれに機能を持たせてしまっていたことに、いや、それに対して反省なんかはしないんですけど、この解釈の押し引きみたいな感覚が楽しく感じられます。
広い壁面に灯るように展示された、何か。
錆び付いた鉄板の欠片、潰れた空き缶、靴下(手袋?)。
それらがワイヤーに纏められて壁に打たれた釘に吊るされただけ、というものであるのに、しっかりと壁面と空間に作用して、けっこう強烈な存在感を放っているように感じられて、それもまた痛快なんです。
輪となったワイヤーの端がピーンと跳ねている様子やただシンプルに金具で留められたものたち、それらは普通に地面に落ちていそうなものであるのに、それなりの「美しさ」というか見事に収まっていて、観ていられるんです。
タイヤが回転する作品も。
こういうふうにタイヤが回転しても「だから何」という感じではあるんですけど、やはりその「何?」という想いから始まり、ここへと至る解釈に、ある醒めた感覚を伴いながらも妙に引き込まれて行くんです。
泉さんの作品が、さまざまなものを「そのまま」使う、もとい置いただけだったりする一方で、上村卓大さんのそれも同様に素材の質感が全面から現れていつつ、より「作った」感じが伝わります。
オレンジが鮮やかなネットで「WALL」。
目に飛び込む色の弾けるような感じはなんとも気持ちが良くて、しかし此れだけスカスカで「壁だ!」と主張する様子はコミカルで。
そして奥には、さらにさまざまな色彩が溢れる造形が。
たくさんのポリタンクが透明アクリルのケースに収められ、なんとも不思議な情景が導き出されています。
発色の異様なまでの良さが、そのシュールさを刹那、忘れさせてくれます。
上村さんもかたちなどを「そのまま」落とし込んでいく作品なのですが、見た目の「分かりやすさ」とは裏腹の製作の手間が感じられて、その行為自体からもユーモアが伝わってくるような気がします。
泉さんがじっくりと「何?」というところから鑑賞者のイマジネーションへズレをもたらす(案外、泉さんは何もやっていないような気がするのでそれもまた面白いです)のと比較すると、上村さんはもの凄く遠回り、懸命さが伴っているのにまずそれを感じさせず、むしろストイックなほどにパンと弾けるような痛快さ、シュールさを提供してくれているように思えます。
田中功起さん辺りを筆頭とする、自身のイメージと作品との距離をなくす方向で展開されるさまざまなクリエイションに最近興味が湧いてきているのですが、今回の泉さんと上村さんも、もしお互いに偶然同じ素材で同じものが作られたとしても、そこにある過程やイメージの差異が確実に存在して、そのこと自体が面白く感じられます。
今回の展覧会でも、それぞれのベクトルで、それぞれのスタンスから発生される「ズレ」がもたらしてくれるイメージがとにかく楽しいんです。
