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タカの部屋 人気写真家鷹野隆大が各界の著名人をゲストに迎えてインタビュー

第4回 会田誠×鷹野隆大「日本近代美術のご機嫌」

鷹野隆大がホストを務め毎回多彩なゲストを迎えて存分に語る「タカの部屋」。第4回のゲストは現代美術家の会田誠氏。今回のテーマは日本近代美術について。「戦争画RETURNS」などのシミュレーション作品でも知られる会田氏と、岸田劉生を高く評価する鷹野が現代アートから見た日本の近代美術史について語り合います。

出演者プロフィール

日本美術史のハイ&ロー

群馬県立近代美術館のグループ展「日常の変貌」(2004)の展示作業中の会田さん ©Takano, Ryudai
Courtesy:Yumiko Chiba Associates/Zeit-Foto Salon

鷹 野 :  会田さんとはずいぶん前から美術の話をしたいと思っていました。2004年に群馬県立美術館で開かれたグループ展(「日常の変貌」展)に会田さんと一緒に作品を展示させてもらったんですが、そのときに、担当の学芸員の方がこんなことを言ったんです。「会田さんが面白いことを言うんだよ。日本の近代美術は戦争画以外ぜんぶ燃えてしまってかまわないって」。いま、会田さんに確認したら、どうやら事実とは違うらしいんですが、僕はその話を聞いて「いいぞ!俺もそう思う」と思ったんです。もっとも僕の場合は戦争画ではなく、岸田劉生以外はぜんぶ燃えてしまってかまわないと思っていたのですが。それで一度、会田さんが日本の近代美術についてどう思っているかを伺いたいと思っていました。

会田誠氏

会田さんのお話をうかがう前に、なぜ僕がそう思うに至ったかをお話しておきたいと思います。日本の近代絵画を見ていると、崇高な世界や難しい理論にばかり偏って目の前の現実を軽視している気がして、それがずっと不満でした。「燃えてしまって構わない」と思ったのもそんな不満からでした。で、そもそも日本の美術史をさかのぼると、今から700年くらい前に中国から水墨画が本格的に入ってくるんですが、これは漢字の世界を視覚化したものでした。昔の公文書はすべて漢文だったそうですが、中国から入ってきたこれらの絵画は、当時のインテリたちにとって、憧れの先進国、その理想世界を見せてくれる素敵なものだったに違いありません。

もうひとつの流れは、“やまとことば”である仮名の世界を体現する大和絵です。こちらは絵巻物から浮世絵へとつながっていく流れですが、身近な世界を描いています。日本語には「卑近な例」の「卑近」という言葉がありますが、身近なもの、具体的なものは卑しいものとしてさげすまれてきたんですね。というわけで、こちらはインテリ世界から排除された人々、つまり“女子供”から庶民に広まっていくロー・アートです。

岸田劉生 「道路と土手と塀(切通之写生)」(1915) 東京国立近代美術館所蔵

日本の美術には、こんなふうに、遠くの高尚な概念を視覚化するハイ・アートと、身近な具体的なものを描写するロー・アートという二つの流れがあるような気がしています。
この二つの流れは明治以降もずっと続いていて、洋画や日本画はもちろんハイ・アートで、浮世絵に代表されるロー・アートは現在、写真などに引き継がれている気がします。

僕が岸田劉生を残したいと思った理由は、そんな近代日本のハイ・アート世界で、身近なものを描いた数少ない画家だと思うからなんです。有名な「切通之写生」(1915)という絵は、見るべきものが何もない、それこそ卑近な場所の、土と塀があるだけの絵です。
彼は日本の風景をたくさん描いているんですが、どこにでもある風景を日本の光のなかに描いている希有な画家だと思います。


鷹野隆大 「太陽シリーズ(仮題)」より(2005/部分) パレスチナ自治区とイスラエルの境界付近。画面左の監視塔には狙撃兵が控えているらしく、「切通之写撃」とでも呼びたくなる光景。
©Takano, Ryudai
Courtesy:Yumiko Chiba Associates/Zeit-Foto Salon

同様に、戦争画も日本の美術史のなかで重要なものだと感じていたのですが、よくよく考えてみると、それは僕が岸田劉生を評価しているのと同じ理由だったんです。つまり、遠くにある高尚な世界を描いたわけではない。例えば藤田嗣治の「アッツ島玉砕」(1943)という有名な戦争画があるんですが、あの絵は「実際にあったこと」を描いています。

いよいよここで、会田さんに、なぜ、日本の近代美術史のなかで戦争画を評価したかについてお聞きしたいと思います。

日本近代美術のシミュレーション

高橋由一 「豆腐」(1976-77) 金刀比羅宮所蔵、撮影/河村 圭一
岸田劉生 「麗子肖像(麗子五歳之像)」
(1918)
東京国立近代美術館所蔵

会 田 : まず、訂正からしておきます。あるマジメな美術のシンポジウムになぜか呼ばれたことがあって、ずっとマジメな話が続いていたのでフラストレーションがたまって、ウケ狙いで「洋画なんて数点以外はぜんぶ燃やしちゃっていいんじゃないですか?」って大げさに言ったんです。「その数点は、高橋の『豆腐』(1877)と岸田劉生、あと藤田の『アッツ島玉砕』を残しとくか」。正確にはそう言いました。だから、鷹野さんとは岸田劉生で一致したわけですが、いまとなってはなかなかそうも言い切れないところもありますね。

鷹 野 :  いまお話を聞いてびっくりしたんですが、僕も、高橋由一、岸田劉生、戦争画という流れは感じていました。

僕は美術の教科書で、岸田劉生の「麗子像」(麗子微笑[青果持テル]1921)を見たときに、自分の感覚と共通項があるな、と初めて思ったんです。岸田劉生はどういう流れで出て来て、どこへつながっていったのか。そう考えると、日本の美術史の中で後継者らしき人がいないんですね。日本の光を油絵の具で表現しようという画家がその後現れてこなかったのはなぜなのか。

さらに調べていくと、日本の美術史は寸断、断絶の連続で、前の世代のことを誰も引き継ごうとしないんですね。常に「欧米では今これが流行っている」というあちらの流行を持ち帰った人たちが出てきて前の世代を否定する。ちょっと虚しいな、と思いますね。

会 田 : わかりますけど、それって半分くらいはヨーロッパでもアメリカでもそうで、近代美術ってそういうものなんだと思いますね。ゴッホはゴッホ一代限りですから。

でも、日本の特殊な事情もあるとは思います。僕が大学に入ったのは85年ですけど、嫌だったのは、老人の教授、中年の教授、非常勤講師、助手がいて、大学院生、大学生、世代それぞれがお互いにコミュニケーションを遮断していること。横のつながりはあるけど、ほかの世代に対しては「どうせ、俺のやっていることはわからない」みたいな、冷たい感じがありました。


鷹野隆大 「立ち上がれキクオ」シリーズより(2003) 今になってみると「麗子像」の深い影響を受けている気もします。
©Takano, Ryudai
Courtesy:Yumiko Chiba Associates/Zeit-Foto Salon

そんなとき、大学三年生のときに、古美術研修旅行っていうのがあって、奈良、京都に行って古い仏像とか、絵を見るんですけど、すべて一流品なので、スゲエ! と思いました。
現代美術よりもスゴイと思ったんですけど、東京に帰って僕が何をしたかといえば、日本画の技法でゴキブリを描くんですけど(笑)。
見てきたものをそのままやるわけにもいかないので、何かひねらなきゃと思って。それで、そのあとに、日本画、明治以降の近代日本画が面白いんじゃないかと思って、僕流のなんちゃってシミュレーション・アートにつながっていくんです。
でも、僕が日本の洋画系の作品をシミュレーションしようとした作品は意外と少ないんですよ。

「近所の洋食屋さん」という、アイディアはよかったと思うんですが、描き方を失敗した作品がありました。
洋食屋さんのテーブルに載っているエビフライを、中途半端なキュビズムみたいなと中途半端な印象派みたいに描いた作品で、中学生の頃に見た新潟県展油絵部門に飾ってあるような感じで描こうとしたんです。でも、なかなか再現できず失敗しちゃったんですけど。


会田誠 美しい旗「戦争画RETURNS」(1995) 襖、蝶番、木炭、大和のりをメディウムにした自家製絵具、
アクリル絵具(二曲一双屏風)各169x169cm
撮影:宮島径
© AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

「戦争画RETURNS」(1996)も実はタイトルだけなんですよ。
最初に日の丸と韓国の国旗を持った少女の絵、次にニューヨークが火の海になっている絵が浮かびました。
両方とも太平洋戦争がらみなので、もう一つ、がんばって考えるか、と考えたのが、原爆ドームとパルテノン神殿が合体したような絵でした。3つまとまったからシリーズ化しようかと思って「戦争画RETURNS」とつけたんです。
もちろん、戦争画にもともと興味はあって、昭和19年の展覧会のカタログを図書館で調べたりはしたんですが、いいアイディアが思い浮かばなくて、その後シリーズを増やしていくまではいかなかったですね。
なんでかはわからないですけど、どうも日本の洋画はうまくいかないですね。まだ日本画のほうがトライした数が多いし、比較的成功した数も多いんですよ。

心の表現より時代の記念

鷹 野 :  洋画って、ほとんど外国の風情っていうんですかね。松本竣介なんか今なお人気者ですけど、日本の風景をなんとかしてヨーロッパ風にアレンジしようという、見立ての手法を使っているような気がしますね。

会 田 : 日本的なる油絵を描かねば、描きたいというのは、多くの日本の洋画家たちに共通する目標だったとは思うんです。梅原龍三郎なんかはそれなりに日本のお茶碗の絵柄からヒントを得たりして、東洋オリジナルの描き方をしようとしたわけですよね。
成功したかどうかは分からないけど。

「洋画は何点か残して焼けちゃえばいい」と偉そうなことを昔言ったけど、そうでもないな、というのは、たとえば、ブラジルのサンパウロ美術館に行くと、西洋から輸入されたピカソのコピーとか、ゴーギャンのコピーとかいっぱいあるんですよ。 みんなそれなりに欧米の一流品をブラジル化しようとしている。それ自体は一流の芸術作品ではないかもしれないけど、本場ルーブルの一流品だけ見るのではなく、二流、三流の作品には二流、三流ゆえの切実さがあって嫌いではないですね。
情けなかったり、悲しかったりするけど、リアルでなじみぶかくもある。その情けなさのなかにこそ、注目すべき大事なものがあるんじゃないか。
日本の近代美術もそういう見方ができるんじゃないですかね。

群馬県立近代美術館のグループ展「日常の変貌」(2004)の展示作業中の会田さん。
(鷹野隆大の展示スペースにて)
©Takano, Ryudai
Courtesy:Yumiko Chiba Associates/Zeit-Foto Salon

鷹 野 :  その見方は新鮮ですね。物まねをくり返してきた気近代美術の歴史を受け入れる。一つの新しい見方ですね。

会 田 : 偉そうな言い方ですけどね(笑)

鷹 野 :  ふざけて言ったこととはいえ、会田さんが戦争画を残したいと言ったという気持ちは、どのへんから来ているんですか?

会 田 : いくつか理由はあるんですが、大きな理由としては第二次世界大戦は世界的なネタだから。世界の美術史のなかに置きうるトピックですよね。それに日本の戦争の仕方は人類史上から言っても、いろいろと珍しいところがあったと思います。その代表的なことが玉砕。二十世紀で、近代的な科学知識がある人間たちが大勢玉砕していったというのは世界史的にも特異な出来事ですよね。

芸術って、個人の魂、心の中の表現も大切だけど、それだけじゃいけないんじゃないか。ウォーホールのポップアートみたいに、1960年代のアメリカがどういう状態になっていたかを記念しているような作品が重要だと思うんですよ。

鷹 野 :  日本人は「心の表現」が大好きで、そういう表現って、ちょっと時代がズレると伝わりづらいんですね。そういうタコ壷のなかに日本の美術家は入って行きがちだと思います。そんななかで戦争画は、タコ壷に引きこもることが許されない状況のなかで、タコ壷から出た洋画家たちが、自分なりに時代にあった表現をしていく、社会と関わりを持つ努力をしていると思いますね。

会 田 : 藤田嗣治だったから、とも言えますよね。彼は当時すでに国際人で世界のアートが動いている現場にいたわけだから、世界史レベルでワイドに戦争をとらえられた。藤田が熱心に戦争画を描いたのは、やっぱり、これが珍しいことだということがわかっていたんでしょうね。

油絵の具と日本人

鷹 野 :  話を戻しますけど、岸田劉生を残したいと会田さんが思った理由は何ですか?

会 田 : 「切通之写生」がとくに好きなんですけど、でもこれって、最近の何てことない写真みたいですよね。

鷹 野 :  そう。そうなんです。

会 田 : あ、いま、写真家と話しているんだと初めて気がついた(笑)。「切通之写生」は外国人に見せて「どう思う?」って聞いてみたい誘惑にかられますね。

鷹 野 :  観光地のような有名な場所でもない、とりたてて意味もない身近な場所だったと思うんですが、ある時代のある場所の風景であり光でありがここに閉じこめられていると思うんです。

会 田 : 絵の具との関係もありますね。大正時代は1900年代に入っているから、世界レベルで言えば、「切通之写生」の描き方は遅すぎるんですけど、黒田が持ってきた印象派があることを踏まえて、あえて、意図的に時代をさかのぼらせた反時代主義なんでしょうね。でも、西洋人さんは教育もあるんだろうけど、体質的に油絵の具の扱い方をわかっている。もしかしたら、日本の洋画は、誰一人深いところでは油絵の具の使い方を知らないまま使っているんじゃないかと。それは僕にも言えて、油絵の具を使いこなせているとはまったく思わないし。

鷹 野 : そんななかで、岸田劉生は油絵の具を使いこなしているほうですか?

会 田 : だと思いますね。

鷹 野 :  彼はこの作品を25歳くらいのときに描いているんですが、若いから描けたのかも知れませんね。昔、彼の回顧展を見たときに、晩年に近づくにつれ、日本絵の具を使うようになって、油絵はどんどん減っていくんですよ。そのときに「油絵は体力的にきついのかな」と思ったんです。ヨーロッパの人はどんなに年を取っても普通に油絵を描くわけじゃないですか。

会 田 : 若いときは肉料理、最後は刺身みたいなことですかね。

鷹 野 : そうかもしれないですね(笑)。ところで会田さんは作品を作るときにどんな人を受け手としてイメージしているんですか?

会田誠 「日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る
男からのビデオ」(2005)
DVD 8分14秒
©AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

会田誠 「判断力批判批判」部分(2008) 文庫本、水性ペン
各14.5×10.3cm(全574ページ)
撮影:宮島径
©AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

会 田 : 半分は日本人、半分は漠然と外人さん。それも、いばってる白人にギャフンと言わせたい、というのはあると思いますよ。でも、全然できていなくてすみませんねえ。

鷹 野 : (笑)。僕も誰に向かって作品を作っているのかは常に問われるなあ、と思いますね。いわゆる洋画壇の画家たちは誰を対象にしているのかが曖昧ですよね。昔はエリート層を対象にしていたのかもしれないけど、いまはそういうエリート層はもうないし。だとすると、誰に向かって、ということは考えないといけない。現代では、たぶん、多くの人に伝えようと思うことが必要なのかな、と思いますけど。

会 田 : 僕の失敗というか、伸び悩みはそこにあると思いますね。もっとはっきり、誰に見せるか、もっと考えて、特定して作戦を立てればいいんでしょうね。それなのに、日本のサブカル好きな若者にも見て欲しいし、白人の美術関係者にも感心して欲しいと思っているから(笑)。曖昧になってるんですよ。

鷹 野 : その幅広さがいいんじゃないですか?

会 田 : いや。日本のオタクに嫌われてもいいから、白人に高く作品を売ると決めた村上さんのほうが作戦としては正しいわけですよ。

鷹 野 : すごい話ですね。もはや僕には何とも言えません(笑)。最後に会田さんにお聞きしたいんですが、近代美術に限らず、日本人にとっての絵画表現はどんなものなのか、どうであるべきか、どうであってほしいか。

会 田 : うーん(笑)。そんな大きすぎる立派な質問には答えられないですね。自分の作品で、手を変え品を変え試してみているんですけど、いまだにわからないですよ。ほどほどの方針はありますけど。

方針って言っても簡単ですよ。基本的には外人さんが不得意で日本人が得意なことをやればマシだろう。そういう考え方で、黒い輪郭線で描いて、ぬり絵的な方向で描いています。日本人みたいに、なめらかな曲線を描いてからスクリーントーンを貼って、カッターで削って光が入る感じにする、というのは、外人さんにとってはストレスなんじゃないですか? 答えにも何にもなってませんけど。

--会場からの質問 : 会田さんはいまどんな作品を作っているんですか?

会 田 : ここ数カ月は怠けてます。今年の予定としては、描き方としては日本画に近いような大作を中国で公開制作しようと思っています。ミヅマアートギャラリーが大きなスペースを作っちゃったので。すぐに作ろうと思っているのは、僕が出ているおバカなビデオで、ビン・ラディンが出てくるみたいなやつ(「日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ」2005)の第二弾ですね。やっていることはあまり変わらないです。

鷹 野 :  日本の美術家たちは夢の世界に閉じこもりがちだと思っているんですが、僕が会田さんを尊敬しているのは、いま、ここにある地続きの現実の中で解放区を作ろうとしているから。みんなが関わりを持つような場所で表現をして行ってほしいですね。

鷹野隆大 「東京/日本」(2008) ©Takano, Ryudai
Courtesy:Yumiko Chiba Associates/Zeit-Foto Salon

会 田 : でも、この前のミヅマで「俺も抽象画に挑戦するぞ」シリーズをやってるんです。話題にもならなかったですけど(笑)。

(2009年1月24日 南青山Book246にて/記事構成=タカザワケンジ)


トークショーの様子・・・

トークは、カフェのテラス内で行われました。

スライドを参考にトークは進みました。

会場の様子。

会場となったカフェ246。

BOOK246内。会田さんグッズが並びます。

トークショー後。参加された方たちと歓談。

ゲスト紹介

会田誠(アイダ マコト)

1965年新潟県生まれ。91年東京藝術大学大学院美術研究科修了。
卓越した技法で描かれるその作品は一作品一コンセプト主義とも言うべき発想とメディアの選択の妙、そのコンセプトを成立させる職人的ともいえる技巧が絶妙である。絵画のみならず、写真、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画、都市計画、舞台美術を手掛けるなど表現領域は多岐にわたる。国内外への展覧会に多数参加。作家自身も歴史文化、サブカルチャーへの造詣が深く、アート界のみならず各界のクリエイターに影響を与えている。
ミヅマアートギャラリーでの個展を中心に、近年の主なグループ展に「第1回シンガポールビエンナーレ(06年)」「アートで候。会田誠 山口晃 展(07年、上野の森美術館)」「Thermocline of Art(07年、ZKM・ドイツ)」。「日常の変貌 展(04年、群馬県立近代美術館)」には鷹野と共に出品している。2007年6月作品集「MONUMENT FOR NOTHING」(グラフィック社刊)を発刊。  

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鷹野隆大プロフィール

鷹野 隆大(タカノ リュウダイ)
写真家

1963年福井市生まれ、1987年早稲田大学 政治経済学部卒。
1994年より作品を発表。2006年 写真集『IN MY ROOM』(2005年 蒼穹舎)にて第31回
木村伊兵衛写真賞受賞。セクシュアリティをテーマにした作品に加え、最近は都市にも興味を向けている。 個展 2000年「ヨコたわるラフ」(ツァイト・フォト・サロン,東京)、2006年「In My Room」(ナディフ,東京)、2006年「男の乗り方」(ツァイト・フォト・サロン,東京)など。グループ展に2001年 「手探りのキッス 日本の現代写真」(東京都写真美術館 他)、2004年「日常の変貌」(群馬県立近代美術館)、2008年「STILL |MOTION 液晶絵画」(東京都写真美術館 他)、「PARIS PHOTO 2008」(カルーセル・ドゥ・ルーブル, パリ)ほか海外でも展覧会多数。パブリック・コレクションとして、東京都写真美術館、国際交流基金、川崎市市民ミュージアム。上海美術館大宰府天満宮。
作品集として、『IN MY ROOM』(2005 蒼穹舎)、『鷹野隆大 1993-1996』(2006蒼穹舎)。

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バックナンバー



2008年5月22日開催

第1回 「反権力」 港千尋×鷹野隆大

鷹野隆大がホストを務め毎回多彩なゲストを迎えて写真について存分に語る「タカの部屋」。記念すべき第1回は写真家であり、同時に「記憶」「映像」に関する多数の批評書を著している港千尋氏とともにお送りします。テーマは「ブラジル」と「反権力」? 写真とブラジルと権力はどう結びつくのか!?

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2008年8月9日開催

第2回 「いい男論」 笠原美智子x鷹野隆大

東京都写真美術館事業企画課長、明治学院大学非常勤講師として活躍されている、笠原美智子(カサハラ ミチコ)氏。彼女は、1957年、長野県生まれ。明治学院大学社会学部卒、シカゴ・コロンビア大学修士課程修了(写真専攻)され、帰国後、東京都写真美術館準備室に入室。13年間の勤務の後、現在は東京都現代美術館に学芸員として勤務されています。そんな彼女と鷹野隆大が「いい男」をテーマに語ります。

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番外編 竹内万里子×鷹野隆大 「パリフォト」

パリでおこなわれた番外編となる今回のトークのゲストは、写真評論家の竹内万里子さんです。 竹内さんは今年(2008)、欧州最大の写真アートフェア「パリフォト」でゲストキュレーターを務めました。毎回、パリのルーブル美術館の地下を使って開かれる同展。今年は「日本」が特別招待国として特集されたのです。自身もアーティストとして参加した鷹野さんが、現地で竹内万里子さんの熱い思いを聞きました。

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第3回 山本想太郎×鷹野隆大 「サッカーはアートを救えるか」

鷹野隆大がホストを務め、多彩なゲストを迎えてさまざまな話題を繰り広げる「タカの部屋」。その第3回は、建築家の山本想太郎氏を迎え、2008年秋に開催されました。 テーマは大胆不敵にも「サッカーはアートを救えるか」。サッカーを「する人」vs.「観る人」。そして、「写真家」vs.「建築家」。 2006年開催の越後妻有アートトリエンナーレではさまざまなアーティストとコラボレーションした空間を展開、発表するなど、アートと積極的に関わり、そして自らもアマチュアのサッカーチームに所属する山本氏と、元々野球少年だったのが、海外でのサバイバル術としてサッカーに興味を持ったことを契機に見始め、そこからさまざまなカルチャーショックを受けたという鷹野によるトークは、互いの関係性が複雑な構図を創り出し、ダイナミックに展開されました。

第3回インタビューはこちら >>

企画協力:YUMIKO CHIBA ASSOCIATES / ZEIT-FOTO SALON / BOOK246