- −−それから本格的に写真を撮り始めたわけですね。
- はい。友人達の励ましもあって、東京にまた戻ってきました。それからはもう、毎日のように写真を撮り、ぶ厚いポートフォリオになるまでずっと撮りためました。それを出版社に持ち込んで、次第に『Number』、『ROCK'IN ON JAPAN』、『H』などの雑誌で写真の仕事ができるようになったのです。しかしその一方でひたすらに撮り続けるうち、壁にも突き当たりました。写真ってなんだろう、被写体と私の関係は、写真に写る私とはどういうことだろうと。そんなときに『Cut』の仕事で、「世界の果ての愛と映画」という特集(2003.11月号)のカバーに使うイメージカットを撮ってくれないかとデザイナーの中島英樹さんから頼まれたのです。考えた末、撮ったのが、モノクロで海を撮った写真でした。千葉で撮ったのですが、なぜかこの写真を撮って自分がとてもすっきりした。撮りながら泣いた、というのも初めてのことでした。実は今回展覧会に出品した作品のうちの一枚がこの『Cut』で使われた写真なのです。
- −−その体験がもとで生まれたのが、今回の『SEX』という海の写真のシリーズなのですね。
- 頭よりも皮膚で感じて撮ることができたのが手応えになったのだと思います。それでこれはこれで続けてみようと。それから半年の間、少しでも時間が空くと、すぐに福井に出かけてひたすら私の慣れ親しんだ海を撮り続けました。それは私自身が風景に溶け合う行為であり、そうすることが逆にすごく私的な写真に繋がりました。私は、写真とは基本的には記録だと思っています。写真は私個人の記録に過ぎませんが、見る側の記憶の中に少し触れる、それによって私と誰かの手が触れる、それが自分や他人の琴線を揺らすのではないかと。記録と記憶のあいだ、その一瞬重なるところを撮れたら良いと思っています。最終的にこれらの写真に『SEX』というタイトルをつけたのは、私という人間の全身でその風景と交わり、触れて、溶け合うことができたと思えたからです。
- −−「徐美姫の撮ったモノクロの海は、わたしのなかにある海である(詩人・小池昌代)」という写真集の帯に書かれたコメント、印象的でした。見る人によって全然見え方が違ってくる写真ですね。
- ええ。今回21点発表したのですが、人によってどの写真が好きか、ものすごく分かれますね。でも写真は最終的に好き嫌いでしかないと思っています。ときにそれぞれの人と重なる想いの部分もある、それでいいと思っています。そういえば今回の写真集を夫婦で買って下さった方がいて、夫婦2人で一緒に見たいときと1人だけで見て楽しみたいときがある写真集だと、おっしゃっていたのが印象的でした。
写真集『SEX』ができたのは、出版元の赤々舎・姫野希美さんとお会いして、見せたその場で写真集を作りませんかと言ってくださったおかげです。デザインは中島英樹さんにお願いしました。これらの写真を撮るきっかけをつくってくださった方であり、また最初にお見せして「いいね」と言ってくださった方でもあったので。大胆な仕上がりにしていただいて、大変気に入っています。
- −−そういえば写真家のロバート・フランクが好きだと聞きました。
- 私にとって写真とはこういうもの、というイメージにぴったりと一致したのが、ロバート・フランクだったのです。最初に彼の写真を知ったのは、イギリスのテート・モダン美術館。それまでにもいろんな写真家の作品を見ていたけれど、どこか自分というフレームの中に収めようとしているように見えました。けれどもロバート・フランクだけは、逆にそのフレームからはみ出してそこに映っている世界がずっと広がっていく感じがしたのです。それは確かにこの写真家の見た風景、でも作家の自己主張が見えるのではなく、その風景の持つ音とか匂いの方が前面に出てくる写真だった。それを見たときに、私の思い描いている写真もこうなんだ、と確認できたのです。「私はこうです」と言うのではなく、「見ているだけの私がいる」。そんな写真が撮りたいです。
- ――今、何を撮りたいですか。
- 今回の『SEX』を撮ったことで、写真と私の関係、私の生き方、そういうことをつかんだ気がします。だから今は、どういう写真が撮りたいというより、この関係性さえ忘れなければ何でも撮れる、だからまたひたすらに日々写真、それだけだと思っています。
(2006.6.8 シュウゴアーツにて)
徐美姫ウェブサイトはこちら
http://www.jomiki.com