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森村泰昌氏 森村泰昌といえば、1985年にゴッホの自画像に自ら扮するセルフポートレートを発表して以来、ずっと写真を用いて独自の表現を切り拓いてきたアーティストだ。現在では海外オークション・マーケットにおいて高額取引されている日本人アーティストのひとりでもある。しかしそんな森村から今回手渡されたのは、数十枚にも及ぶ「書」。初めて目にするモリムラのアプローチに驚くに違いない。 実は今まで書きためていたんですよ。書は10年近くやっていた。かたちになるまで、あたためていたのです。これは森村流ドローイングとでも言うようなもの。普段は写真の作品をつくっていますが、ときどき手を動かしたくなるんです。私の写真の作品ではつねにセルフポートレート表現を追求していますが、書もからだを持っているようなところがある。これらは全部私の創作したオリジナルの漢字ですが、かたちがまとまってきたなと思う瞬間は、どこかここが足で、ここが顔でと、そういう表情が出てきたとき。 書はまた思索する行為としても面白い。こんな字はこれまでないんですけれども、自分で字をつくる、そこにはその人の美意識や価値観というものが現れる。たとえば「自由」 をどう解釈するか。私はそれを「自らが有る」と見立てました。では「宇宙」は。内に有るものと感じ、またひとつの漢字をつくりました。違うときにその言葉にあたれば、また違う感じ方をするかもしれません。しかし何度も書いて、向き合って、そうするうちに私の字と呼べるものが次第にできあがってきました。 こちらは特にその出来映えを気に入っている字です。「火のような美」とでも言いましょうか。実は今度始まる新作セルフポートレートの展覧会タイトルが「烈火の季節」と言い、そこにも「火」が入っています。今回の個展では、「20世紀的なるもの」と「男たち」をキーワードに、三島由紀夫の自衛隊クーデター未遂や、ケネディ暗殺犯オズワルドがジャックルビーに銃殺される場面など、さまざまな男たちの、烈しい火のようにぶつかりあった生き様、歴史の瞬間を作品にしています。 今われわれが接している時代では「いやし」をみんなが求めていると言われる。しかしその一方で「荒ぶる」という別の感情が失われた時代ではないかとも思うのです。20世紀、「男たち」は働き、争い、激しさをもって社会を建設してきた。いまそうしたことが忘れ去られているのはどうなのか、今回のシリーズはそこへのレクイエムです。
文・安田洋平 (インタビュー収録/9月30日 シュウゴアーツにて) 森村泰昌 「なにものかへのレクイエム(MISHIMA)1970.11.25〜2006.4.6」 2006、 150x120cm カラー写真 |