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文/麦倉正樹(音楽ライター) 今日まで脈々と続く「パンク・ロック」の歴史は、1976年に端を発したと言われている。60年代の盛り上がりを超え、次第に高度に洗練されていくと同時に、巨大化していったロックという音楽を、再び自らの手に取り戻すための「若者たちの反逆」。
![]() 1977年8月16日、ニューヨークのライヴハウス「CBGB」。わずか5人の客と一匹の犬が見守る中、人知れず「パンク」はその産声を上げた。ジョニー、ジョーイ、ディーディー、トミー――血の繋がりこそ無いものの、全員が同じく「ラモーン」姓を名乗る4人の若者たち――ラモーンズの登場である。 そのメッセージを本国アメリカ以上に熱烈に受け止めたのは、ロンドンの若者たちだった。 その翌年にはピストルズの親衛隊だったビリー・アイドル率いるジェネレーションXが1stアルバムを完成させるなど、次々と現れるパンク・バンドたち。こうして「ロンドン・パンク」は、やがて世界中の若者を巻き込んだ一大ムーヴメントとなっていく。 一方、その本家たるニューヨークでは、センセーショナルな「ロンドン・パンク」のムーヴメントに大いに刺激を受けながらも、ラモーンズを生んだ「CBGB」を拠点として、メンバー間の交友関係などに基づく、親密なシーンが形成されていった。 内省的な虚無感と暴力性を内包した本作は、前衛芸術やビートニクなど、ロンドン以上にアート志向の強かった当事のニューヨークの雰囲気を体現する象徴的一枚であった(その様子は、アンディ・ウォーホルが企画段階から参加した同タイトルの映画『ブランク・ジェネレーション』に詳しい)。 一方、その容貌と破天荒な行動から「パンク界のキース・リチャーズ」と呼ばれるようになったジョニー・サンダースも、「ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ」として77年、アルバム『L.A.M.F』を完成させ、翌78年にはソロとして『ソー・アローン』をリリースする。 その他にも、「パンク界のモンロー」と呼ばれたプラチナ・ブロンドの美女、デボラ・ハリー率いるブロンディや、ポエトリー・リーディングからスタートしたパティ・スミスといった女性たちの活躍、さらにはリズム・ボックスを用いた異端のパンク・デュオ、スーサイドなど、「ロンドン・パンク」以上に幅広い音楽的な振れ幅をみせながら、「ニューヨーク・パンク」は、まさしく百花繚乱の様相を呈していくのだった。 あるときはCBGBの店員として、あるときはリチャード・ヘルのパートナーとして、そして何よりも写真家として、そのムーヴメントの渦中にいたロベルタ・ベイリー。彼女の写真には、音楽的な繋がり以上に、「既存の価値に縛られることなく自由に自らを表現する」という「アティテュード」において、緩やかな連帯関係を結んでいた当時のパンク・ロッカーたちの素顔と、未だ世界を魅了し続けて止まない彼らの溢れんばかりの「エネルギー」が、しっかりと刻まれているのだった。 |