
1973年、沖縄の本土復帰から1年後の沖縄に生まれた照屋は、「日の丸」に対して、ある種の「距離」を感じていたと言う。国家のシンボルとしての認識、さらには沖縄の旧世代の人たちが抱いていた否定的感情からも、「距離」があったと言う。
照屋は、自身のスタジオに日の丸を掲げ、日の丸について随分と考えたと言う。白地に赤い丸、そして完璧なまでのプロポーション。美しい旗だとは思うが、好き にはなれない。そんなことをずっと考えていたある日、照屋は「もしかしたらこの日の丸は、さかさまなのかもしれない」と考える様になった。そうすると、照 屋の目にはこの国旗が日本国家のシンボル「日の丸」ではなく、素晴らしいデザインのオブジェであり、良い旗だな、と素直に受け入れることができたと言う。
ルネ・マグリットの絵画「これはパイプではない」の如く、この「さかさまの日の丸」は、「さかさまの日の丸」と命名されることで、「国旗」という 意味づけと同様に、新たな意味を持つことになる。「日の丸」=国旗という概念をずらすことによって新たな価値を生み出した、照屋勇賢の傑作である。(渡辺 真也)