2006年01月25日
ncaディレクター・竹田仁さんにインタビュー / タグボート プライベート・ギャラリーツアー企画
nca | nichido contemporary art 「Identity」展
1部:2月2日(木)~2月18日(水) 2部:2月20日(金)~3月4日(土)
2月2日よりnca | nichido contemporary artにて「Identity」展が開催されます。2003年より毎年開催されており今回で3回目となるこの「Identity」展は、いわばncaのギャラリー・コンセプトを総括したものだと言えるでしょう。そのncaを訪ねるプライベート・ギャラリーツアーを目前にした某日、タグボートはncaディレクターの竹田仁さんにインタビュー、そのコンセプトや思いを大いに語っていただきました!
― 「Identity」展は今回で3回目の開催ですが、毎回ギャラリー・コンセプトである“Identity”をテーマとしながらも、展示内容が少しずつ違っているようですね。
そうですね、前回は自己の不安と開放~自己の探求をテーマにした展覧会でしたが、今回は、人が無意識下でなにかを「感じる」という感覚的なものはどこから来るのかということと、意識的に「感じる」という人間の外的、内的な折り合いから見いだされる自己同一化について掘り下げて考えてみました。
「感じる」という感覚の部分と意識との関係はそもそも表裏一体のものであると思います。普段、意識して感動しよう、なんてありえないですよね。でも同時に「感じる」だけで生きてゆくというのも無理な話で、そこに意識というものが生まれて初めて人は“Identity”のバランスが取れる。ただ、今の世の中、さまざまなメディアによって、膨大な量の知識や情報、ものの解釈を自由に受け取れます。しかしそれは、発信する側が再解釈されて放出されているもので、意図的に手を加えられ、価値観をパッケージし受け手に与えているものです。これは、自己の本質とはかけ離れたバーチャルリアリティの世界です。意識して受け取ることができる場が多いにも関わらず、周りの価値観に左右されず自分自身と静かに向き合い、純粋に感動できる場は少ない。
この展覧会では、情報過多のこの時代、そういったものに惑わされず、自分にとっての真実やファンタジー、つまり、心を揺すぶられるような感覚を掘り起こすことができるような、そういった空間を提供できればと思います。
― 2部構成になっていますが、テーマがあるのでしょうか。
1部は写真と映像、2部はドローイングとスカルプチャーという構成です。前回の展覧会はより理解が深まるようにテーマを分けましたが、今回は純粋に表現手段と素材という観点で分けて、説明的な要素を排除しました。展覧会自体、既に“Identity”というコンセプトが出来ているので、あえて余計な説明をすることは避けようと思ったのです。観に来てくれる人それぞれが自由に琴線に触れた自分自身を感じてもらえればいいな、と思って。コンセプトを明確に出した後は、受け手側の心や意思に委ねようと思っています。「感じる」という機会を奪ってしまわないように。
― ディレクターである竹田さんの個人的な思い入れはありますか。
僕の個人的な思いですか。振り返ると、今までの展覧会は、その時々の社会的な問題や心の問題が絡まっていたりでさまざまです。展覧会は一定期間、かたちとして表れ、消失し、二度と同じインスタレーションはできない。そのときの僕の主観ももちろんありますが、実際にインスタレーションが出来上がってみると、まるで心の鏡を見せられているような感じになります。そして、場は消えても、受けた感覚は残り、息づいています。ギャラリーに来てくれる人にも、その空間に佇んで自分(アイデンティティ)について考えてみたり、言葉ではないもの、心の空間がいかに広いのかを感じていただけたらと思います。
先日、僕のアシスタントが面白い本を見せてくれました。猫を擬人化した『今日の猫村さん』っていうマンガだったのですが、猫の主人公が何度も自分のルーツや過去を回想し、自分がすべき必然性を導き出して歩んでいくというストーリーです。最初はただの本能で生きる猫だったのが、自意識というものを人との関わりで発見してからは、自分の生き方や、周りとの関係が劇的に変わっていくのです。その中で、「昨日の今日は今日の昨日、明日の今日は明日の昨日か…。」と口ずさんで歌っているシーンがあって、笑いながらその通りだと思いました。僕も自分を振り返って、その時自分が感じていたことや、今なにをどうすべきか、どう生きていこうかと思うときがしばしばあって、猫からはっきり言われて笑ってしまったのです。10年後、20年後、時代や価値観は変わっているかもしれませんが、人間としての「感じる」心や本質的な部分は変わりようがありません。自分から逃れようのない感動やリアルで生きた表現-コンテンポラリーアートを、このシリーズ展を通して追い続けていきたいと思っています。
― そんな竹田さんの作品選びの基準は?
自分が意識する前に心を揺すぶられたもの、響いたものです。かなりショッキングな作品も中にはあります。シンプルに感覚で選びました。今回の「Identity」展では、前回の展覧会からのギャラリーの軌跡を、あらたに発表しています。ですから、一展覧会をキュレーションし一斉にオファーをかけて作品を集める形式ではありません。これまで歩んできた一つ一つのものを、インスタレーションという結晶体のようなかたちにして発表します。展示した後は、独立した空間として、さまざまな国のアーティストのそれぞれのアイデンティティが凝縮され、作品は新たな関連性を見いだし、互いに主張(拒絶)しあい、また、引きつけあう相関関係が生まれます。
ncaは狭いですが、大きいガラスの間仕切りやバックスペースなどいろんな‘隙’があるから、ギャラリー内を自分のプライベートスペースとして、見え隠れする作品の奥にスーっと入っていくことができる。作品の世界に浸かってテキストや映像を観ながら、床に座り込んで半日くらいボーっと過ごす方もいらっしゃいますよ。感じ方や想いは見る人次第なんです。展覧会概要の最後にもこう記載しました。「内なる声に耳を傾け、鏡を割るのも曇らせるのも、クリアーにしていく作業は、結局は自分以外にはできないのですから」。
― 作品に対する見方、受け取り方は自分次第、とは言っても、コンテンポラリーアートというとどうしてよいのか分からず、理解したい、結論がほしい、という人も多いかと思います。
メディア世代は、自分でなにかを模索したり、問いかける前に、キャプションや必要な情報や答えをアクセスして完結することに慣れていますから、突然アートとはなにか?とかアイデンティティとはなにか?と問われればどぎまぎするでしょう。未だ結論など出てはいない分野ですから。しかしながら、メディアやコンピュータでは解明することの出来ない、唯一、自分の主観や感覚で自由に完結(再解釈)できる分野でもあります。コンテンポラリーアートとは、人間が創造するそのときどきの自分の表現で、答えではありません。先人たちの考えや思想、表現を歴史的なオールドマスターの中に結論を見いだすことは可能ですが、今の同時代の表現を今すぐには結論づけられません。時を経て歴史の必然性の中で後世の人々が確立したものとして受け取るものです。今という時代を私たちが生きていく中で、自分が今一番感じているものは一体なんであるのかという心の問いかけが大切なのです。答えは用意されているものではなく、生きていて、共に歩んでいける人やアートと一緒に空間を共有できるということは、素晴らしいことだと思います。
メディアはすべてそれらしくまとめられ、事前に用意された「答え」を提示するから、みんな結論を与えられたように錯覚してしまう。たとえば、みんなが泣くようなドラマは感動したような気になりますが、それはつくり上げられた虚構の感動です。泣かせるように仕組まれている。予告なしに自分の胸に響いてきた感動とは異なるものです。何が真実であるかは、本人の心の中にあって誰にも知りえないものでしょう。全員が同じように知っていて、一斉に同じ答えを共有するだなんて、ちょっと気持ち悪いと思いませんか。
― 展覧会概要には感動について「自分の存在を揺るがすような強い衝動や感動がもたらされた瞬間、私たちの内部で起こっている心の活動は速すぎて、自意識はついていくことがいけません」とありますね。強く感じたことは、自分の意識レベルにおとしこむのに時間がかかる、ということでしょうか。
そうですね。「Identity」展のインスタレーションは迫力があるものになると思いますし、最初は目を背けたくなったり、混乱するかもしれないけれども、この空間を感じ、すぐには答えに結びつかない“なにか”を、漠然と日常の現実世界に持って帰ってもらいたいのです。自分だけのものですから。心が成長しやがて忘れたころに、自意識として心の一部として溶け込んで豊かになっている。ほら、コンピュータでもスキャンやインストールするのには、ある程度の時間がかかるじゃないですか。心に取り入れてダウンロードするスピードは当然その人によって個人差がありますけど。ただ、受けた衝撃や感動は確実に自分の中に存在しているので、いつであるかは分からないけれども、実生活において受けた感動が自然に甦り、それらを別なかたちでアウトプットし始める瞬間というのは必ずあります。人は、内的な経験をより多く体験した方が感性は高まり、目には見えない受信するアンテナは大きく広がると思うのです。
― たしかにそういった感覚は覚えがあります。でも、なかなか得る機会がないんですよね。
シンプルで、なおかつ自分にとって琴線に触れるようなものを探すのは、すごく難しいことですよ。情報が満ち溢れている今、行ったことのない場所や、話したこともない人の言葉を見たり聴いたりして、自分のイメージは意識的に作られ操作されています。初めて受けるインパクトは非常に少ないですが、コンテンポラリーアートは誰もが見たことも聴いたこともないような作家独自の感性と新しい表現で私たちに迫ってきます。だからといって、「感じる」ためのイベントをつくる気はないんですけどね。
僕は1ギャラリーとして、1つのテーマやメッセージを投げかけています。そして、来ていただいた人たちに、アートが持つパワーを感じてもらい、そのメッセージが、社会の営みの中でなにかしらの影響が波紋のように広がり、共鳴しあうことを望んでいます。一人一人が文化と社会を構成し、互いに良好な均衡関係を築くべきだと思います。この展覧会が、皆さんの中でリアルになるかどうかは、自分がスキャンをした後にかかっているのです。取り込んだ後、人生の中でスキャンした自分自身をどうリリースするのか、ということを、心の鏡に映し出して問いかけてみてほしいと思います。アーティストは「感じた」ことがイメージとして作品となる。アートとは人間的な創造行為です。私たちは人間ですから「感じた」イメージを自分なりに日常や社会生活に投影してみるのも一つの芸術的な行為だと思います。
美を感じる心が、手に掬った水も水晶になりうるのですから。
もちろん気に入って心に響いた作品を部屋に掛けて楽しむということも生活の豊かさという面ではとても素晴らしいことです。美術館とは違って、ギャラリーでは作品を売っていますから。(笑)
― それでは、最後にお聞きいたします。「Identity」展で大切に伝えたいメッセージとは何でしょうか。
自分です。自分を大切にしてほしい。
自分自身について気づく瞬間が今の時代、あまりにもなさすぎると思うんです。だから、この「Identity」展では、自分とのバランスや自らの心を静かに見つめることの出来る、そんな場にしていきたいのです。
― 本日は、ありがとうございました。「Identity」展、自分自身を見つめることのできる、めったにない貴重な機会になりそうです。期待しております。
(2006年1月19日 nca | nichido contemporary art内オフィスにて)
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投稿者 TAGBOAT : 2006年01月25日 10:10
