TAGBOAT Next Generations Artist's Voice アーティストの声

TAGBOAT Next GenerationSの力強い姿勢に可能性を感じたことです。

オータムアワード2009"  ≪グランプリ≫受賞  壱岐紀仁

壱岐紀仁

■TAGBOAT Next GenerationSに登録されたきっかけ


2000年に入ってから続く不況の中で、就職難の経験もあって、自分の作品と社会(経済)の関係を強く意識し始めました。その頃から持っている素朴な疑問が「今の日本で、人はアートを"買う"だろうか」ということです。
登録のきっかけは、僕を含め作家の自立を目指す者にとって切実なこの問いに、明確に形として応えようとしているTAGBOAT Next
GenerationSの力強い姿勢に可能性を感じたことです。
登録して次第に僕の問いは「今の日本で、人はどんなアートを必要としているだろうか」という積極的な問いに変わっていきました。


■TAGBOAT Next GenerationSのウェブサイトやリアルイベント
に参加されてみていかがですか?


登録作家の多さに驚きました。「これだけの人たちが密やかに日々何かを作り続けているんだ」と、まず大きな感動がありました。同時に、その多さが物語る作り手と社会(買い手)の意識のズレの深さも感じました。
何度か参加していく内に、そのズレを自分なりに受け止め、作品のプレゼンテーションに還元していくことで、その都度確かな収穫を感じています。


■TAGBOAT Next GenerationSではじめて作品が成約した時
どういう気持ちでしたか?


展示会場でお客様が「これが欲しい」と仰って下さった、その生の声がとても嬉しかったです。当り前のことですが、アートの売買に社交辞令はないんだ、という厳しさも初めて実感しました。
実は、買ってくださった方が実は海外の方だったんですが、それまで自分の作風は日本的、言い換えるとどこか閉鎖的な側面があると思い込んでいたこともあり、僕の考えが文化の異なる国の方に素直に届いたことは、新鮮な驚きでした。
そのお陰で、僕のアートの売買に対する考え方の「肩こり」がほぐれました。


■入賞された感想、オータムアワードに参加された感想を
お教えください。


受賞して一番に報告したのが父と母でした。まず母が出て、夕食のおでんを炊いている最中でした。父はその日最初のビールの一杯目を楽しんでいました。父と母は受賞そのものというより、息子が元気にやってることを喜んでいるようでした。息子達が出払って、今は二人きりのささやかな食卓の風景を思い浮かべると、ああ、敵わないなぁと思いました。
敵わないなぁというのは、僕が作品に込めた想いでもあります。例えば帰る家がある人の帰り道というのは、僕から見ると色々な情緒を投影させてしまうのですが、文字通り「生きること」に一生懸命な人は、きっと帰り道単なる道で、余計なことは考えず帰宅してからのおでんの準備を考えたりするでしょう。それは人が持つ本質的な強さだと思うし、それを強さだと感じ取る僕の感受性は、父と母から譲り受けた、僕の全財産です。
受賞によって得たものは、その財産の再確認が大きかったと思います。


■入賞作品を制作した時のエピソードや入賞作品に込めた思い、
コンセプト等を詳しくお教えください。


子どもの世界、というのは幽霊のようだといつも感じながら、シャッターを切ります。撮りたい世界が今目の前にあるのに、それを掴もうとすると、指の合間をすり抜けてしまいます。
僕が撮りたいのは、命そのもの、つまり「生」と「死」と人間に名付けられた幽霊たちが、子どもたちの命の営みの中に、偶然その姿を現す一瞬に他なりません。
人がある一つの純粋な自然現象に、初めて名前や意味を与えるとき、幽霊は誕生します。そして幽霊はやがて文学や芸術、音楽や映画に形を変えて、再び僕らの前に現れます。人はそれに感動したり、怒りを覚えたり、人生を揺るがされたり、ついには自ら命を断ってしまうこともあります。つまり僕の指す幽霊は、自分自身の心です。

僕は海辺の小さな町で生まれました。海辺には、色々なものが流れ着きます。その中で特に記憶に焼きついているのが、ウミガメの死骸です。
ウミガメの親の体というのは、子どもの体と大きさも似ているところがあり、小学生だった僕には、殆ど人間が死んでいるような印象がありました。不思議なのは、そのとき恐怖で足がすくんだわけでもなく、何かとても透明な美しいものを眺めているように、ずっとその場に止まっていたことです。良いも悪しきも全てを浄い流す、海の、あるいは「水」の浄化の力なのでしょう。幼い僕は、ウミガメの死が次なる生のために分解されていく天然の叙事詩を、白波の音楽と共に、黙々と読み耽っていたのだと思います。

そして今回の作品は、「子ども」と「水」という、僕にとっては原風景ともいえる要素が、これ以上削ぐことが出来ないまでに純化されているように感じました。


■普段の創作活動の中で大事にされていること、目指されて
いること。また創作活動の中でのTNGSの位置づけなどをお教えください。


一つ自分にとって確信のある感覚があって、子どもたちと一緒に過ごす時間の中で、「子どもの領域に入った」と鮮明に思う瞬間があり、正に領域に入ったその瞬間は自分が子どものように世界を感受している状態になるから、理性ではなく殆ど反射神経でシャッターを押しています。僕の作品を支えているのは、思想的なものではなく、結局はそういった肉体の反応だと思っています。
だから、普段の創作活動の中で大事にされていること、と問われたら、僕は「体を大事にすること」と応えます。


■他、今後のアーティスト活動に対する思い、抱負、
その中でTNGSに期待することなどをご自由にお書きください。


僕がテーマにしている(子どもの)無垢というのは、美術史/写真史において今まで何度もテーマになってきたモチーフだと思います。
普遍は、どれだけ人の手垢が付いても、変わらずそこにあり続けるし、それをたまたま自分が生まれた時代の手法を使って丹念に抽出していくだけのことなのだと思います。

現代アートの世界でよく囁かれる「もう表現は出尽くした、何を作っても新しくない」という意見を、僕は持ちあわせていません。僕にとってその意見は、人間が生み出した幽霊です。しかし一方で、その幽霊と、今を生きる僕はもう既に無縁ではないという認識もあります。だからこそ僕にとっての「新しさ」とは何か、現代アートがなぜ「新しさ」を欲求してくるのか、引いては現代アートを編み出した現代人が何故「新しさ」に追い詰められるのか、その幽霊たちと付き合っていこうと思います。その幽霊の存在によって、僕の中に問いが生まれ、写真を撮り続けているわけですから。