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舟越桂

父が彫刻家だったということもあり、アトリエで作品を作っている現場をずっと横で見てきた。

怖い雰囲気だったのだが、父は静かで威厳があった。いつも遅く起きては、夜中まで制作をしていた。

その影響からか、幼少から絵を描いたり、工作をするのは好きだったし、小学3年生にもなると自分も彫刻家になるのだろうと薄々感じていた。

学生時代はスポーツが好きだったので、ラグビー一辺倒の生活だったが、高校2年時に、父から将来どうするのだと問われ、作家になりたいのならと、美術予備校の夏期講習に通うようになる。

これが本格的に今の道へと歩み始める出発点となった。

父からは美大受験の手ほどきを受けるのではなく、作品を作るときのものの見方といったことを食事の時などに話してもらった。

浪人して東京造形大学の彫刻科に入学したものの、それまでためていたスポーツをしたい気持が爆発し、大学3年のときにラグビー部を自分で作ってしまった。

当時、同じ彫刻科の友達をうまく騙して参加させ、適材適所に人をうまく使ってチーム作りを行い、多摩美と試合をすることができた。

スポーツ三昧の学生時代だったので、これからどちらの方向に進もうといった明確な目標をまだもっていなかった。

 

大学院に進み、修了前に函館のトラピスト修道院の聖母子像を木彫で作ってほしいという話が転がりこんだ。

はじめての木彫で、しかも大きさは2メートル30センチの作品を教会の礼拝堂に卒業後にようやく納めることができた。

これが初めて売る作品を作ることを体験した。

大学院終了前には各美大が集まった具象彫刻のグループ展を上野東京都美術館で10年間開催してきた。

とはいうものの買ってくれる人は滅多にいなかった。

そういった中で、82年にギャラリー岡部での初個展に、西村画廊のオーナーである西村建治氏が見に来てくれた。そしてついに85年には西村画廊で個展が開催されるに至るのである。

 

以前からホックニーなどの展覧会を見るために西村画廊には行っていたし、国内では西村画廊以上にやりたいところはないと思っていたので本当に嬉しかった。その後も作品に変化が出たときには、まっさきに西村氏に見せるのだが、いつも喜んでくれた。

また、新しいものを試すようにとプレッシャーをかけてくれた西村氏の存在は大きかった。

毎日ほぼ午後2時過ぎに起き、アトリエには夕方に来て明け方4時くらいまで制作をすることが多い。

現在、助手には胴体の粗彫りしてもらったあとに、自分で細かい作業をしている。

 

作品のアイデアを思いつくには、パッと思いついたものを書き留めて、作るに値するかを後で吟味してから作るようにしている。その後、細かいところまでイメージが出来てから彫り始めるのだ。

 

「若いアーチストへのメッセージ」

その時代における新しい作品を出して行くためには自分という新しい存在がなければならない。それは世界を見回して探すのではなく、自分の中にあるはずなので、それを見つける努力をしてほしい。

流行のものをやると、どうしても海外の誰かに似ていることが多い。

一見古く見えても、きちんと見れば新しいものもある。

戦略的に売り出そうとする作家がいるが、そういったことは画廊に任せておけばよいのである。

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