貴族、政治家。初代元老院議長。
壱宮明康を筆頭とする大四家の一、四峰家の長として帝国院制創設や憲法制定に深く関わった、統皇朝初期を代表する重要な人物の一人。文和朝時代に壱宮明康と共に国議院で活躍し、壱宮が行政に転じて以降は議会の重鎮として様々な政局で存在感を発揮した。政党内閣制の成立後は表向きには国議院議長として中立的な立場をとりつつも、水面下では議会政治の安定化を目指して四政会の成立を実質的に主導し、その政治手腕から「議会政治の番人」と渾名された。大里清吉政権では事実上の政権ナンバー2として憲政施行に尽力し、第一憲政の成立後は初代元老院議長として政府を組織して権力の頂点に登りつめた。四峰政権では「覇権の王道」を唱えて経済成長と軍備拡張を両立した列強化政策を進めたが、その政権運営に反発した急進派による古高坂の変によって重傷を負い、失脚した。