毛皮がかわいいという感覚の根源は何なのでしょう。5年ほど前、アメリカの古着屋で干からびた頭が3つついた狐の首巻きを見つけた時、私は一瞬かわいい!と思って手に取り、そのあとものすごい罪悪感を味わいました。頭(しかも3つくっついている狂気っぷり)があることで、今までなんとも思っていなかった素材としての毛皮は生き物の死骸でしかありませんでした。今まで自分はどうして毛皮をかわいいと思っていたんだ?と自分自身の残酷さに恐怖を覚え、それから本物の毛皮の雑貨は買っていません。動物の背を撫でる時、その時の感覚が思い出されることがあります。今触っているこの暖かな毛皮の下には、血が通い、筋肉が緊張し、空気が循環している。それは当たり前のことなのに、どうして見えなくなっていたんだろうと。どうすれば、もっと見えるようになるのでしょう。