311 漂白
時代は、その時代の望むものだけをアーカイブしようと試みる
原発事故から10年が経った時、私たちは、あの事故についての意見を表明しない事で、他者との信頼関係を保っているのでは無いか、あるいはむしろ、意見を表明しないという行為を通じて信頼を高められるツールとなっているのでは無いか、そのような「疑い」からこの作品シリーズは始まりました。
近年進められたデジタルイノベーションによる高度な情報化の為に、あらゆるアーカイブは極端な情報過多の中に記録が埋没され、それまでとは違う反応、即ち、報道というフィルタを通過した社会的な有益性や倫理性よりも、資本の暗黙の合議と人々の関心が合致した時にのみ発見されるアーカイブとして、設計され直されたのではないかと考えています。そこでは本来、歴史の中にアーカイブされるべき「コトの背景」も、発掘されるべき「文脈」も、膨大なデータの中に忘却されてゆくのではないか、そう感じた時、「意見を表明しない事で信頼を高められるツールとなる原発事故」が、そのような中でこそ成立してしまう事に気が付きました。
私にとってこの思索の経緯は、かつての印象派の画家達が霧の中へ霞んでゆく風景を描いたのと同じように、デジタル画像が解像度を落としてゆく姿でイメージされました。私はこの作品シリーズのタイトルを「時の漂白」という言葉からとる事にしました。