Slapstick
2020年4月、「新型コロナウイルスの感染拡大は、グローバル化がその一因となった。」との報道を目にした時、私はその時まで感じていた「違和感」の正体を理解した。私は長年、「私たちは『豊かさ』と『リスク』を交換しているのでは無いか、」という疑いを持っていたのだ。
だが、同時に私は、現代という時代を生きてゆく為には、程度の差こそあれ「豊かさとリスクの交換」に、関わらずに生きてゆく事は不可能だろう。とも考える。
恐らくその為に、共同体は、それに関わる「疑い」を秘匿し、その事を認知させにくいようにデザインされている筈だ。そして、そこで暮らす個々人も、相互補完される「日常」という概念の奥深くへ、その「疑い」を隠滅させる事で、互いに共同体の成員としての統合を深めているのでは無いか、
コロナ禍の中、私はそのような疑念に取り憑かれ、それを作品化したいと願った。そうして夏の少し前に、それには「バナナの皮」が最も適している。ということに気がついた。
巨大な「バナナの皮」は、そのサイズに見合う巨大な存在の転倒を暗示する。2020年の終わり、私は2m前後の「バナナの皮」を完成させ、作品のタイトルを「Slapstick(スラップスティック)」=「喜劇映画」とした。