2020年のコロナ禍の中、巨大なバナナの皮として制作した「Slapstick」をどのように平面作品にすればよいのか、数年の間、悩み続けていた。
その時の「バナナの皮を巨大にしなければならない。」という異様な思い込みと、その爆発するような感情を、どのように平面作品に留めおかせるのか、、
制作活動はある種の「病」からの解脱だと思う。
「作らなければならない」という熱病にも似た「病」を、「この作品は絶対に必要な筈だ」という形に変えてゆく。しかし何故、誰にとって、その作品が必要なのか、それが判らない。それなのにそれが必要だと確信しているのだ。
ここで起こる感情の経緯は自分にも訳が判らない。
だから爆発するように作るしか無いのだ。
これは「必要な作品」だ。