1973年、沖縄の本土復帰から1年後の沖縄に生まれた照屋は、「日の丸」に対して、ある種の「距離」を感じていたと言う。国家のシンボルとしての認識、さらには沖縄の旧世代の人たちが抱いていた否定的感情からも、「距離」があったと言う。
照屋は、自身のスタジオに日の丸を掲げ、日の丸について随分と考えたと言う。白地に赤い丸、そして完璧なまでのプロポーション。美しい旗だとは思うが、好きにはなれない。そんなことをずって考えていたある日、照屋は「もしかしたらこの日の丸は、さかさまなのかもしれない」と考える様になった。そうすると、照屋の目にはこの国旗が日本国家のシンボル「日の丸」ではなく、素晴らしいデザインのオブジェであり、良い旗だな、と素直に受け入れることができたと言う。
ルネ・マグリットの絵画「これはパイプではない」の如く、この「さかさまの日の丸」は、「さかさまの日の丸」と命名されることで、「国旗」という意味づけと同様に、新たな意味を持つことになる。「日の丸」=国旗という概念をずらすことによって新たな価値を生み出した、照屋勇賢の傑作である。(渡辺真也)
旗の生地:エクスラン
少し黄みががった白、アクリル100%の軽くて丈夫な高級旗布です。目が粗めで色あせしにくく、屋外での展示も可能です。左側に「ひも」が上下に付いており、ポールにくくり付けることも可能です。
付属品1: ステンレス製ネームプレート
本作品は日の丸のデザインとしての完成度を保つ為、アーティストのサインはステンレスプレートに掘り込むという形で制作しました。壁掛け用のアクリル・パネルがステンレス製のネームプレートに付随しております。両面テープなどで壁に貼り付けるなどしてご使用下さい。
付属品2: 琉球松製 特注保管用木箱
沖縄県の県木である琉球松は、「東洋のガラパゴス」と呼ばれる、沖縄県北部のやんばる地方に多く生息する熱帯性の松です。第二次大戦中、その多くが死滅しましたが、皮肉にもアメリカ管轄下となることで開発を逃れた沖縄県北部にて、戦後40年近くかけて復活した歴史があります。しかし、日本本土より松くい虫が侵入後、その生息数が激減しましたが、これは米軍管轄下の土地である為、沖縄県側が農薬の空中散布が出来なかったことが大きな要因とされています。
この琉球松の正目板を利用し、折りたたんだ際の旗がすっぽりと収まる特注サイズの木箱を用意しました。人口乾燥済みですので、変形の心配もほとんどありません。パラシュート糸で留めて頂く形となります。