Profile
1960年12月22日、ニューヨーク市ブルックリン生まれ
1988年8月12日没
ハイチ出身の父とプエルトリカンの母のもとに生まれる。公認会計士の中流家庭であった。
幼い時から母に連れられて美術館に通う。肌の色の違う人間が絵に描かれていないのを不思議がっていた。
ハイスクール時代「SAMOセイモ」という名前でスプレーペイントによるグラフィッティー(落書き)をはじめる。
「17歳の頃から僕はスターになるだろうと思っていた。チャーリー・パーカーやジミヘンのことを考え、有名になることは何てロマンチックなんだろうと思った。」
20歳のときウォーホルに出会い、その後交流がはじまる。二人によるコラボレーション(共同制作)もおこなわれた。22歳で初の個展開催、ストリートから一気にアート・シーンのスターへ躍り出たため周囲からは反感を買った。
バスキアの作品にはそれらに対する怒りが溢れている。
ウォーホルの死に落胆し、後を追うように翌年急性薬物中毒により死亡。
子供の頃交通事故で脾臓を嫡出したためと考えられる。