太郎さんは誰にも語っていないが、「太陽の塔」は、首が打ち落とされた瞬間の生贄の姿ではないか、と私は感じている。
高度経済成長期から、財政出動と公共事業による祝祭が主導する国家への変化が、あの時代の日本に起きた。その幕開けに相応しい供犠を、太郎さんは一人で執りおこなったのではないか、
しかし今、祝祭は終わろうとしている。振り返れば祝祭のピークは1995年であり、以降日本は縮小を続け、現在に至るまで斜陽国家としての時代を通過してきた。しかしそうであったとしても、「太陽の塔」という供犠の力は、その過程の全てを美しいものとしてくれる。
恐らく多くの人にとって「振り返ると太陽の塔がある」のと同じように、国家や民族にとっても、それは同じなのだ。芸術の象徴の力というのは、そういうものだと思う。
私は「太陽の塔」を描きながら、動揺してゆく。私の描きたいモノ、作りたいモノの多くが、既に太郎さんによって打ち出され、闘われ、そして象徴に変化されているように感じたからだ。
今回、その動揺の経過を、そのまま作品とした。
本作品は 岡本太郎現代芸術賞受賞作家 新作特別展示 三塚新司『予言者 進歩と調和 』において展示した作品になります。