違和感を形にする為に、私は室町時代以降の著名な日本画をトレースし、現代的なメディウムで再構成した本作品シリーズを制作する事を試みている。
本作品シリーズは、岡倉天心の「茶の本」からタイトルをとった。
岡倉は鎌倉時代から室町時代にかけて「日本の美意識は完成した。」と唱えた。それは南宋が滅んだ際に渡来した技術者や僧侶を通じて日本にもたらされた様々な価値の変化によって完成したというのだ。しかしグローバル化以降の変化の中で、あるいは誰もが利益最大化の責任を背負わされたこの20年程の間に、その美意識の表層だけが残り、その下底に流れた概念は既に失われた筈だと考えている。
言い換えれば、この最近に起きた変化は、江戸期、明治期、あるいは昭和の敗戦と、それ以降の経済成長と中産階級の出現よりも、更に大きな変化ではなかったか、と感じている。
私はかつての時代の絵を見る時に、あるいはその時代の庭園の造形を見る時に、もはや永遠に失われたものを見ているという確信を持っている。何故ならそこに「既に完成した美意識」が含まれるのであれば、それは完成を綻びさせる変化を拒絶する筈であり、その拒絶の時が去ったか、すり抜けたが為に、実際に社会に変化が起きた以外にないからだ。
しかし、そう云う私自身も、もはや実際にはその価値を理解出来ないまま、その表層のみを描き写しているのだ。そうでなければ「それ」を描いているとは名乗らないし、まさか「茶の本」からタイトルをとるような事はしないだろう。