「男の子?それとも女性?」「LGBTには理解があるよ」
地球上どこにいても、たいてい僕はそういった位置につまみ出される。そこには大抵、僕の答えの選択肢は与えられていない。僕にとってこのシリーズを制作する行為は、失われた幼少期の肉体と時間を少しづつ発見し、問い続ける行為である。ここで言う幼少期の肉体と時間というのは、まだ性も自我も未発達段階のことを指し、アンドロギュヌス/両性具有者(あるいはアセックス/無性者)である。大人になった我々はアンドロギュヌスの記憶を失っているだけであり、制作と鑑賞によって再びアンドロギュヌスを実現させている。自身の性経験とアイデンティティを元に、日本のマンガ界で独自にできた“ショタ・コンプレックス”という性愛の対象として少年を求める言葉に着目する。若さに対する時間や、外見主義、マンガ要素がアート作品として売買されることの意味を問いたい。